いま、ぶつかっている人生の課題や疑問。そんなことを頭に置きつつ、年齢を足したら100歳になるような先輩のキャリアを、若手が丸裸にするチームインタビュー。自分の迷いを吹っ切りたい!そんな思いが”見え見え”なものの、先輩にとっても新たな気づきや人生のちょっとした棚卸しになれば。第1回は埼玉工業大学教授・小寺昇二さん(62)の人生をインタビュー。第2回は小寺さんへの質問から。

小寺さんの人生と矜持——奈落の底に落ちてこそ考える、自分の哲学


30代通信企業——人生観というか、仕事をするうえで大切にしていることは何ですか? 働くモチベーションなどが、途中で変わったりすると思うのですが、どのように変わりましたか?

小寺——素晴らしい質問ですね。若い頃から、何のために生きる?とか哲学的なことを考える人ってほんと微々たるものですよね、若いうちから哲学的なことを考えるって立派だと思うんですよ。その点、僕はボーっと生きてきた。悩まずに、ボーッと生きてきた。就職の時も消去法みたいな感じで、結局はなんとなく生命保険会社というのに入った。漠然と生命保険って人のためになるのではないかと思って入ったんです。

22年働いて、そんなの嘘っぱちなのかな?と思うこともあった。余生については考えないで来たんですが、やっぱりいくつか奈落の底に落ちると考えるものです。

最初に奈落の底に落ちたのは、1990年のバブルの崩壊。とんでもない損失に囲まれて、毎日、立つことすらしんどい。仕事はしてましたけれども、その時に自分はどうやって仕事をしていくかを真剣に考えた。

その時に同期の賢い人が、会社を近代化する!と。そこで、自分もやろうと。1990年にロースクールを出た3人でつるんで、近代化運動をはじめちゃった。ただその時は会社を作るというよりは、合理的なものを仕事のなかに取り入れることを目指しました。

そしてその後、ITバブルが崩壊しまして・・・。

司会——またきた!

小寺——そういう金融界のイベントは、僕はたいてい直面している。最前線に僕はいるんだ、と。もういわゆるITバブルで、リストラにあってしまう。その時に友達に、「おまえ何やりたいの?」って言われて、自分でよく考えて、やっぱり教育がやりたいんだと。昔から興味がある。教育というのが自分は好きなんだと気付きました。

会社にいた時も、組織をつくって、10年間も若手の教育をしていました。その若手のひとりは第一生命の社長にまでなっています。その若手を育てる、というのがとても好きだなというのを、2002年くらいに認識しました。

2005年、06年に、千葉ロッテマリーンズの球団改革をしました。その直前から企業再生に興味があった。金融のなかで世の中に役立つこととして、当時はプライベートエクイティなのですけれども、お金を投資して良い会社を盛り上げていく。会社に投資をしてターンアラウンドをする。企業再生と教育的なことというのが自分のなかでもすごくやりたいこと! それがわかったのが50代。

あともう一つ、かなりプライベートな話ですが、二個目に小説があるんですよ。バブルが崩壊してすごく悩んだ時に小説を書き出して、3年くらい書いていて最新作はKindleで出しています。

僕が28歳の時に兄が亡くなりました。2人兄弟ですが、そういうこともここに書いているんですけど、人生を考えるとき、ちゃんとまっとうに恥ずかしくない人生を、兄の分まで立派に働きたいと思った。そういう気持ちはずっと持ち続けていた。

今は大学の教員として運よく入れたので、学生に教えながら、自分が引き出しにいれてきたもののことを若い人たちに伝えたい。

30代通信企業——ちなみに転職を45歳でされて、経歴を見ている限り、いきなり違う業界だったりするんですけど、都度勉強されたりとかしたのですか?

小寺——多少関係があるんです。生命保険会社の後半っていうのは、事業再生的なことをやっていたんですね。入社した時は資産運用だったのですが、数年やって十分勉強したので、だいたい分かってくる。これ以上やっていても面白くない。そこで夜は勉強しに行って、M&Aとかコーポレートファイナンスっていうんですけど、金融の収益部分というのがある。M&Aとかアセットマネージメントは100%分かっているから、コーポレートファイナンスに移りたい。お金を出して、そういう講座とか勉強をしたり。

そういう風に思っていると、運良くリストラで、退職金が二倍になっていた(笑)。

それで、ハローワークに通いながら、時間もあるしということで、知り合いがやっているベンチャー企業をタダで手伝おうと「無駄走り」をしていたら、そこの仕事が面白くなって、結局入ることになったという。

ベンチャーでどういうふうに経営しているかを勉強して、そこをやめることになって、プライベートエクイティという事業再生の投資することをやりたかったんですが、なかなか入れなかった。
千葉ロッテマリーンズの時も大学の同級生4人で温泉に行った。マリーンズのCEOを探しているとなって、残りの3人は金融、僕も含めて金融の3人で話して、こんな財務がたいへんな会社入るのは厳しい、と。誰もいないよって。20億の売り上げで、損失40億あった。とんでもないですよね。

20代自動車業界——一気にロッテマリーンズは良い球団になったじゃないですか、何が課題で、なにをしたんですか?

小寺——課題の話でいうと、何もしていなかったんです。何かをすれば、どういう風になる、というのは海外にはビジネスモデルはあるのです。先程の同級生たちと私とで、スタジアムとの一体になったビジネスというのを掲げました。競技をビジネス、エンタテインメント産業だと。スタジアムに来てくれれば、負けても楽しい。そういうコンセプトをやりだした。2004年に20億が40億になり、60億になり、80億になり、そんなフレームワークを作りました。

20代自動車業界——ロッテが唯一、ファンが26番目の選手だと言ってましたね。

小寺——そうですね。それ、この本に書いてますから(笑)(笑)(笑)、読んでくれれば。

20代自動車業界——収益の一番はチケットですか?

小寺——三つのバランスですね。入場料、スポンサー収入、放映権。この三つのバランスです。

とにかく実践で僕は鍛えられた。最初はベンチャーにいて、8個くらいの会社でめちゃくちゃ苦労したけど、本当に苦労しながら、実践して勉強してって、それで引き出しにいっぱい蓄えていったということですね。

20代自動車業界——スポーツ界からすると、小寺さんは門外漢なわけではないですか。そういう人がいいポジションに行くじゃないですか、そするとハレーションが起きる?

小寺——スポーツ界くらい古い業界だと、やっぱり外から来た人が改革できるという。若者、ばかもの、よそ者っていうのは、改革にいないとだめというのはどこの業界でもそうなんです。という意味で、僕は「ばかもの」ということです。しがらみもなく、とにかく合理性だけでズバズバズバっと。

それでハレーションが起きたので、一年半でやめました。それでも、業績は上がった。これは、ちょっとネットには出せないけど、良い仕事をするって必ず対決がある。

(オフラインならではの会話・・・)

何をしたかを世の中に伝えていって、合理的な近代的な社会になって欲しいと。今でも大学で同じことをしていますね。大学で授業のやりかたは普通ではない。普通の教員ではやらないことをやって、その成果は本にしようと。

司会——逆にやり残したことは?

小寺——それはもう、いっぱいあります。今で言えばスポーツビジネスのトレンドですが、スタジアムの「指定管理者制度」。ガンバ大阪は自分たちでスタジアムをつくった。そうすると、もっとスタジアムを使った地域ぐるみのすごいビジネスができる。

もうひとつは、IT×スポーツ、というのが今のトレンド。そういうことが面白いとは思います。

小寺さんの人生と矜持——仕事と私生活、LIFEHACKにも通ずる考え方

司会——仕事と私生活のバランスに対する考えは変わってきましたか?

小寺——そうですね、最初の会社の頃は、自分と会社では、線を引いていました。例えば、ゴルフをしない。会社の人たちとは18時までで、ほかはいろんな人たちと楽しむ。

そういうポリシーでやってきました、日本的な会社「だけ」人間にはならなかった。でも大企業以外で考えると、公私混同、わたしはフェイスブック中毒なのですけど(笑)、プライベートとパブリックって溶け合っているんですよね。面白い人と仕事しちゃおう!だとか、これからの自分が「ライフシフト」で働いている、そういうことです。自分は、ポートフォリオワーカー、キーワードは、「ゆるい付き合い」、ゆるいつながりが大事と考えています。

僕は社会人になって、いつでも困ったら助け合える友達はが南米にもいるんですよ。それは自分の財産です。

司会——公私の「私」のことですが、ご結婚されたのは?

小寺——28歳です。もう三十数年同じ相手と。子どもはいま、26歳。

司会——結婚したりとか子どもができて、人生観は変わりますか?

小寺——ぶっちゃけですね、僕は結婚して妻も無茶苦茶苦労していると思います。ただそれはなぜかと言うと、あまりにも違うからです。僕は都会育ちで、彼女地方の裕福な家庭。いろんなことがまったく違うんですよ。

彼女に言われたのは、いろんな意味で彼女はこの年齢でも「リア充」。「見栄っ張り」であると。そういう妻をみていて、良いところもあり、「そうか人間ってこういうのが普通なんだな」と気付きました。弱い人の気持ちが、ぼくはわからなかった。別に自分がエリートとは思わないですが、高校でも劣等生だし、大学でも劣等生だし。ただ、ものごとをいつでも考えて合理的に判断してきた、そういう人間は普通ではないんだ、と。33年葛藤のなかで生きてきたのは、僕にとっても彼女にとっても僕は横暴であるとか。「唯我独尊」とか「マイウエイ」とか、今で言う空気読まない系ですけど、互いに欠点を晒しながら修正するということですね。やっぱり結婚するというのは、いいと思うし、僕は運が良かった。自分が真っ当な人間になるように、神さまが仕向けたのではないかと。

30代保険営業——合理的なこと以外に、物事を判断したりするときの価値観はありますか?

小寺——価値観という言葉で言えば、何かの目的を達成するために、ダーティーなことはしない。自分を活かすために、人を蹴落とすようなことは、絶対にしない。というような倫理観を大事にしていました。大事にしたから、会社をやめたり、などということもありましたが。

30代自営業——人生の最大の楽しみってなんですか?

小寺——常々思うんですけど、生きていると辛いことがあるんですが、辛いことの方が時間的に長いんですよ。一回の努力で、すごい努力して30秒が嬉しいとか、そういうことなんですよね。でもその1日とか、その短い時間がいいことだと思ったら、それが喜びなんじゃないかなと。

小寺さんの人生と矜持——時間とお金について、趣味が増えるいっぽう?


20代不動産業経営——「時間とお金」についての感覚は変わりましたか?

小寺——時間の話でいうと、とにかく、時間はない。もうどうやって、子供の頃からとにかく効率的にやるにはどうしたらいいかと、小学生くらいからずっと考えていた。

効率的に計画を立てて実行して、PDCAを回すガキ、みたいな。それはとにかく時間を作るため、時間を作って遊ぶ、みたいな。

年をとってくると、趣味が減るのですが、普通は。ところが、それが減らず増えている。興味あることをバッとやって、知識とか考えとかどんどん広がっていくんですよね。テレビを見ながらできることをする。テレビを録画して、早回ししてみる。テレビを見るひとつのことだけでなくて、二つ出来ることは必ず二つしようと。三つ一緒にやるということもできる、という風にして、とにかく時間をつくる。とにかく時間はあんまりない。

自分でプレッシャーかけてやるとだめですけど、楽しみながらでないと長続きしない。例えば、朝起きてから寝るまで、体にいいこと、時間が効率よくできることをする。「無駄走り」でいうと、英語ですかね。英語学校に10年通っていたこともあったし、今でも英会話を聞きながら家から駅まで自転車でこいでます。漕いでるだけだと暇ですから。BBCとCNNを1.5倍速で聞いたりもします。

お金のほうでいいますと、お金についてはすべてがお金には綺麗にしようと、贅沢しようとは思っていない。だから、もっと立ち回れば、こっちの株買っておけばとか、ないわけではないけど、蓄財よりも70歳になっても働いて、働くことで得ようと。

いよいよ第3回は、小寺さんが若手に伝えたい「仕事とは?」<第3回はこちら>